10月19日

 6時起床。
 今日はスポンサーの取材日。
 本当は皆で運動会?をやると言う話だったけれど、スポンサーから仕事の風景がみたいと言うことで式典後仕事をすることになった。
 朝食後、Tシャツが配られ全員 それに着替える。帽子も渡され再度集合。
 村の人達も集まり スポンサーの挨拶や村長の挨拶があり贈呈式のような事が行われた。
 最後に村の子供達に服やノートを渡し、その服を着せてあげる作業に。
 日本人に注目をおかれているので 一番初めに日本人が子供達の前へ行かされた。
 そして、写真をとりまくり。日本人だけで写真を撮りましょう。と言われ日本人6人が前へ。
 なんとなぁ〜く、やらせ的に感じたのは私だけではなかったみたい。
 その後、石拾いに行った時にトモが「あれで、村人は喜ぶのか?」と疑問を言ってきた。
 トモは今後、ボランティア関係を学びたいと思っているので色々、今回のボランティアについて考えているようだった。
 私はただタイ語を学びたくて参加したボランティアだったのっでトモの考えを聞いて感心した。
 村人ははたして、本当に喜んでいたのか?と言う疑問は自分で考えてみたけど難しい。
 ここはタイ人と日本人の違いがあるんじゃないのかな?と私は思っていたから。日本には電気が通ってなくガスがなくと言うところが現在存在してるのだろうか?
 日本は中流階級の人が大半でタイは貧富の差がとてもはげしい国。
 トモは「めぐんでもらってる」「めぐんであげてる」って言う感じがしてイヤだった。という
 私も確かにそれは感じた。タイ人は同じような事感じるのかな?日本人とタイ人の考えははたして同じなのだろうか。
 私の考えは「きっと、うれしいはず」だった。そうであってほしい願いも含めて。
 実際、真実はわからないままこの式典は終わった。
 石拾いの間、トモと今回のボランティアについて語っていた。私は初参加で分からなかったけれど日本人ミーティングなるものを毎回やっているらしい。今回は先生が来なかったため皆忘れていた。
 そういえば、皆 なんでこのボランティアに参加したのかと言う話を各個人で話していたけれど集合して話していない。
 ヤマとも相談し、今晩 日本人ミーティングをやる事に決定。



 アップナーム後学校に行って見るとバケツリレーがはじまっていた。
 作業がかなり遅れている。皆 一生懸命バケツリレーをしてセメントを運ぶ。
 が、なんだか距離が近い。。意味のないバケツリレーに感じたけれど この作業は皆で力をあわせて一つのものを作り上げようと言うものなんだと思う。皆がいっしょにやる事に意味があるんだろうなと思いつつバケツリレーをしてみた。
 いつもより遅くなり食事がはじまる。
 そういえば、スポンサーは皆の仕事が見たいと言っていたのに式典後スグに帰っていったな〜。。

 いつものように夕食後、通常のミーティングそして日本人だけでミーティングをする。どうしてこのボランティアに参加したのか どういう風に自分は行動していきたいかを話し合う。ちょっと私にとっては懐かしい。私はいったい何年前に学校を卒業したんだろう・・・会議はでてても学生のミーティングなんて数年ぶり。
 今後、なにかあったら話し合おうと言う事でミーティングは終了。
 そして、恒例の飲み会。
 1人の学生がトムカーガイを作ってくれた。彼いわく「タイ人の男は料理がうまいんだ。」確かにすごく美味しい。でも、食べるとまた「デブ・デブ」言われるのでスープだけ飲んでいたけれど「このスープは太らないから食べろ」に従い食べる私。
 やはり、人数が少ない。酒好きピ−ソンは早くから飲んでいたため居ない。
 今日はピートゥが12時過ぎまで飲んでいいよと言ってくれたので飲んでいるとピーソン、ピーチャーン(4年)登場。かなり酔っ払っている。このサークルは園芸サークルなのだけど体育会系。なにかあると、先輩は腕立てを後輩にさせるらしい。私たちが日本人ミーティングをしている間も近くで飲んでいたピーソンは後輩に腕立てを強要させていた。
 危機を察したピートゥが「おひらき」の合図をして、皆一斉に帰ろうとした。
 すると、3年だけピーチャ-ンに学校の裏へ呼ばれた。ちょっと除きに行くと3年が正座している。たぶん、先輩が来たとたん 帰ろうとした事に怒っているらしい。が、その指示をしたのは確かピートゥ。この会の責任者である。ピートゥが「いいかげんに怒るの辞めなさいとピーチャーンに言い5分ほどで3年生は開放され皆であいかわらずの暗闇を帰宅。
 どうも、自分の体調がおかしい。。。体力的にはそうでもないのだけれど どうやらタイ語のこの環境下に疲れが出てるらしい。タイ語を話すのが疲れてきた。とにかく、寝て明日もがんばろう。