続ドライバー
前回の続きになりますが、私の専属ドライバーの事をもう少し(結末まで)書いてみます。
居眠りの忠告(警告書有、もう一回あると進退に影響する)で暫くの間は安泰の日々が続いた。運転も安心でき、居眠りしそうな雰囲気もない。という事は通勤時・外出時とも車で移動中は私が少しの間は寝る事が出来るという事になる。
しかし、残念ながらそれも長くは続かなかったのである。
居眠り事件から約一ヶ月経った先月後半の事であった。
タイは雨季に入った為、夕方だけでなく朝も雨が降るようになっていた。
彼は私の家まではバスを使ってくるのだが、通常約1時間かかると言っていた。
私が朝6時15分(彼には6時に来いと言ってある)に出るには、彼は5時には自分の家を出ないといけない事になる。
ここで皆さんは、「え〜〜ゴ、ゴ5時〜〜」と驚かれるかもしれないが、日本人駐在員でバンコク郊外に出ている人の殆どの運転手はこれに近い時間に自分の家を出ているはずである。普通なのである。
雨の朝の月曜日であった。6時15分に階下に降りたが彼の気配がない。
「また、来ないのか?!」と思ったが、5分ほど待ったらバイクタクシーに乗ってやってきた。
「スミマセン、雨で渋滞になりバスが遅れたので」であった。
一応信用した。
しかし、次の日もまた次の日も同じなのである。
私も堪忍袋の尾が切れそうになっていたが、我慢をした。
(もう一度遅れたら考えよう)
全くお人好しである。
その後また一週間位はキチンと来ていたが、ついに運命の日が来た。
その日も来たのは6時15分ぎりぎりであった。
普通どおりにスタートし、空港へ向かう高速の下の道路に入った。
そしてすぐ彼が、「前に工場長の車が走っている」と言った。
時間的な事もあるが、滅多に一緒になる事はないので運転手も少しいつもと違う気持ちになったかもしれない。
2台一緒での走行になったのである。
一瞬いやな予感が私の脳裏をよぎったがまさかそんな事はないだろうと忠告はしなかった。
アジアンハイウェーに入り、ハイテク工業団地を過ぎた位の所であった。
通勤時間なので、工業団地から出てくる車と入る車がいたる所にいて結構危険な時間帯でもあった。工場長の車のすぐ後ろに付いていた彼は、ちょっとした隙間を見つけ入ろうとしたのだ。
しかし、その危険地帯は彼の考えに反していた。工場長の車が前の車の急ブレーキで止まったのだ。
次の瞬間であった。
<ドカーン!!>
追突!! やってしまったのである。
よりによって同じ会社の人の車に。
スピードは出ていなかったが工場長の車は左後部、私の車はバンパー右側が凹んでいた。
私の車は、つい先日も前を走っていたバスの落し物でバンパーを傷つけていたので保険で直そうと思っていた矢先だったから、彼は不幸中の幸いで丁度良かったというふうに思ったかもしれなかった。実際、会社に着いて彼はそう言った。
ただ、直せばそれで事は済むだろうと。
しかし会社側はそうではなかったのだ。
工場長はすぐ日本にいる社長に報告した。
社長からは<即刻クビ>の宣告であった。
彼をミーティングルームに呼び工場長からその旨を伝えた。
私も会社の決定に従った。
彼には思っても見ない結末が待っていたのであった。
何ともあっという間の出来事にも感じたが、彼は何ともいえない寂しそうな顔をしていた。
その日に車を直しに向かい、私の専属運転手は一緒に出かけ修理工場に着いた時点でサヨナラとなった。
非常に厳しい裁定だが、他のドライバーへの見せしめでもある。
《日本人はこのドライバー達に命を預けているのだから》
次の運転手は2日後には来た。ほんとに運転手は幾らでもいるのである。
この運転手は、今の所非常に良い運転手である。目もしっかりしている。
(酒は飲まない・タバコも吸わない)
私はこの新しいドライバーが当りである事を願っている。
暫くはまた様子見が続くことになった。
管理人から
気が付くと3車線が4車線になっているタイの道路。それほどタイ人の前へ前へ行こうとする情熱は強い。周りを見ない性格と相まみえて、事故になる確率は非常に高まる。タイでよく見る不思議な光景がある。地方の一本道、分離帯代わりに数メートルの野原がある。ここに車が止まっている。正確には落ちている…。なぜ直線道路で道路から落ちるのだろう??タイではしょっちゅう見かける不思議な光景である…。