ペンギン夫婦の山と旅


このページはみいさんのご両親の発行しているblogをそのまま転載させて頂いております。
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プーケットは元気です。(1)

3月4日。あのスマトラ沖地震による津波災害から70日。
めげずに頑張っている娘家族に会いに、プーケットを訪れました。

現地の様子は、ときどき送ってくるメール添付の写真でうかがえたのですが、実際の復興ぶりは想像以上でした。

1月中旬頃にパトン・ビーチに散らばっていた塵埃や流木はすっかり姿を消し……


このように元の美しい海岸に復りました。
いや、むしろ砂が波に洗われて、より白く美しくなったと娘はいいます。

この写真に見るように、大きな客船や帆船がたくさん来港しています。
(遠浅で海岸まで来られないので、連絡船が往来している)

被災した商売道具のモーターボート。
この二隻はただ今、鋭意、修理中です。

皆さんに励まして頂いたおかげで、こちらのボートは元気に現役復帰を果たし、新しい従業員とともに頑張っています。

この写真は朝早く撮影しましたので、ビーチの賑わいはまだのようですが、並んでいる椅子(新品が多い)やこれから開くパラソルの数で、次第に観光客が帰ってきていることが分かります。

ただ、残念なことに日本人観光客の姿は殆ど見ることができません。

今までプーケットを訪れる観光客は、国別では日本からの人が一番多かったのですが、津波の後はすっかり敬遠されて少なくなりました。
これは「お国柄」(国民性)にもよるのでしょうが、日本の一部マスコミの報道にも一つの原因があるようです。

例えば、パトンビーチにあったBIG ONEというスーパーマーケットでは、「買い物客150人が死亡」と報道されました。実際はパトン全体で犠牲は170人で、一箇所でそれほど多い筈がありません。また、何日かあとでも「収容されない遺体が放置されて海岸に異臭が…」といった報道がありました。しかし、宗教心の強いタイの人たちが、死者をそのままにしておく訳はありません。

確かに初めての災害に最初の対応の遅れはあったでしょうが、タイの人たちはすぐに活動を始めています。瓦礫は取り除かれ、遺体はお寺に運ばれて丁重に葬られました。

また、災害に乗じての略奪や窃盗も非常に少なかったと聞きました。これもタイの人たちの道徳心の高さによるものでしょう。一例を挙げます。
津波のあと、婿が海岸に行くと両替所横のATMが横倒しになり、高額紙幣が散乱していました。それでも誰も拾ったりしなかった。被災後なにかと物入りで、喉から手が出るほど欲しいお金の筈なのに「悪いことをすると必ず報いがある」と皆が信じているからだそうです。

マスコミの視点はどうしても、インパクトの強いものが中心になると思います。
しかし、プーケットの被害は海岸の直ぐ近くに限られています。200mほど離れた行きつけのホテルの従業員は、手真似で「足首まで水が来た」と話してくれましたが、その辺の商店はすぐに日常の営業に戻ったと聞きました。

物資不足による値上がりや、不衛生といった問題もなく、プーケットは元の賑わいを取り戻しつつあります。まだ多くのホテルやレストランに「Maintenace Progress , Reopen Soon」と書かれていますが、プーケットは再建の活気に溢れています。

現地復興にとって最大の援助となる日本人観光客が、一人でも多く来てくれることを祈りながら、現地の今の状況をレポートしていきます。