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スマトラ地震におけるプーケットの津波について
タイのテレビで臨時ニュースをずっとやっていますが、どう考えても人数少なめです。
まだ確認できていないのかもしれませんが・・・。
観光地だからか、観光客の行方ばかりを重視していて、タイ人は後回しという感じの報道で、友達や知り合いが何人もいなくなってしまっている私としてはとても悲しいです。
ビーチで働いている人は、地元の人以外にも、出稼ぎに別の地方から来ている人が多くいて、そんな人たちはいなくなっても人数が把握できないようです。
空港は閉鎖解除され飛行機も飛んでいるようですが、観光は無理ですし飲料水や食料も不足がちです。
各地で道が寸断されていて、移動手段もありません。
略奪なども一部で起こっているとも聞いています。
みんな行方不明になった知り合いを探している最中で、殺気立っています。
パトン地区のソンテウ・トゥクトゥク・スピードボート・ジェットスキー等はほとんど流されて見つかっていないか、見つかっても大破している上、回収もままならない状態です。
学校などもお休みです。
救急車がひっきりなしに通っています。
いろいろと取り込んでいますので、勝手ですが今後個人的なお問い合わせにはお返事できかねます・・・ご了承ください。これから先、生活のめども全く立たないため、メルマガのほうも無期限でお休みとさせて頂きます。
家族が無事で家も残っているので、まだ運がよかったのでしょうが、ジェットスキーはできなくなってしまって、トゥクトゥクも今シーズンはもう仕事がないでしょうし・・・。
かなり絶望的というか、情緒不安定になっていますので、今は励ましなどを頂いてもうまくお返事できないと思います・・・。
いつになるかわかりませんが、無事プーケットが復興した暁には、また多くの方が訪れて、笑って話せるようになることを願ってやみません。
管理人から
津波が起きてすぐに管理人の所に電話が入りました。その声は、、、もう何を言っているのかわからない、みいさん曰く「何かを言わないときが狂いそう」という物でした。時間がたつに連れて増大する被害。かなり地獄絵図になっております。みいさんも言われてますように、かなりパニクっておりまして、しばらくは連絡が取りにくくなります。管理人は定期的に連絡を取り合う予定ですので、何かありましたら管理人宛にご連絡ください。また、わかる範囲内で、HPの方から情報を流していくつもりです。写真も載ってますので、そちらをごらんいただければ幸いです。
テレビでソンテウがホテルに突っ込んでる映像が流れていましたがあそこって、だんなが仕事で停まってるまさにその場所だったんで「夜だったら確実に死んでた」といってます。
たとえば夜8時に地震があって・・・10時に津波が来てたら見えないからさらに被害が広がっていたでしょう。
夜はビーチには人はいませんが、ビーチロードは昼間以上ににぎわっていたはずですから。
また、日曜日だったので家族揃ってご飯食べてたのですがもし平日だったら子供を幼稚園に送っていって、だんなだけ海に行ってる可能性も大なので、これまた逃げ切れたかどうか。
といっても、あまり無事でよかったともいいにくい状況です・・・。
ビーチで椅子の仕事をしてた近所のおっちゃんが亡くなり、遺体が見つかったのでお葬式の準備をはじめてました。
遺体が見つかっただけ、よかった、という感じです。
どこかに流されてしまって、行方不明の人がまだいっぱいいます。
死んだと思っていた友達がだんなの実家に行ったときに来て、生きてた〜!と力抜けました。
まだ顔を見てない友達がけっこういて、とりあえず誰か知り合いに会って確認できないかとビーチ辺りに行ってみたりしています。
いまさらながらに思うのは、日本では地震が来たときにテレビで速報や津波警報がありますが、全く何も情報がなかったです。せめてCNNで「ものすごく大きな地震があった」というような速報があれば、もしかしたら津波が来るかもと思えたかもしれませんが、プーケットでは震度2ぐらいのそれも窓ガラスががたがた揺れて、「なんか変?でも地震ってタイはないのに」という反応だったのです。
それが地震なのかどうかも、確信がもてませんでした。
そして、もし地震だったとしてもあの程度のゆれでこんなにひどい津波がたった2時間後に襲ってくるとは、到底予想できなかったです。
もちろんあのひどさでは、震源地近くでは電話も電気もずたずたで連絡のしようがなかったのも一因でしょう。
ただ、本当になんで一瞬でも津波のことに気づくことができなかったのかと悔やまれてなりません。
タイ人は知らないだろうけど、私は日本で何回も地震と津波のニュースを見ていたのに。
以前メルマガにも書いていますが、6年前にも津波が来るといわれてみんなで逃げたのに・・・。あの時は30cmぐらいの波ですんで取り越し苦労だったーと大笑いだったのに、なんでみんなあの時の怖さを忘れてしまっていたのかと。
12月29日の夜
カオラックから王様の孫が乗っていたジェットスキーが発見され戻ってきたと言うので見に行ってきました。(うちのすぐ近所の人が貸し出していたものです)
見事に上半分、なかったです・・・。あともぐちゃぐちゃ・・・。
その家の人は、車とビーチで貸し出していた椅子のほかジェットスキーをすべて失い、家と命はあったものの、ほとんど収入に結びつく商売道具がなくなってしまい、本当に途方にくれていました。
またテレビでも映像が流れていたビーチのオーシャンデパートの地階から友達のジェットスキーが搬出されました。
パトンの沖で漁をしていた漁船が見つけたジェットスキーを運んできてくれ、あきらめていた持ち主はものすごく喜んでいました。
プーケット中の学校は年明けの4日まで臨時休校状態だそうです。
一応、学校とお寺が死体の搬送先になっているようです。
といっても、もちろんパトンで目にすることは今のところありませんでしたしごろごろしてるなどということは、全くないです。海にも浮いてません。
ITVで観光客の行方不明者を写真で放送しています。英語で連絡先などをいっていました。
それから、突然日本語になり「日本人の皆さん、外務省で・・」と連絡先の電話番号を読み上げていました。
観光で来ていて巻き込まれた方は、本当にどこに連絡したらいいのかとかこれからどうしたらいいのかとか、タイ語もわからないだろうし、大変だと思います。
英語もほかの外国人よりは、わからない人が多いだろうし。
このような配慮してもらえることは、(日本語ブームもあるのだろうけど)ありがたいことです。
プーケットの人は、自分たちの国の人もたくさん亡くなっているのに、外国人お客さんのためにも、いろいろ窓口を設け、混乱状態の中できる限りのことをされているようです。
観光で持ってる地域だからとはいえ、各国の言葉を話せる通訳を設けたブースを作ったりして、本当に不測の事態なのにがんばっている様子が伝わってきました。
だんなの知り合いでは、あまりのショックで?気が変になってしまった方もいてなんと言葉を掛けていいのかわかりません・・・。
(だんないわく「もう頭がショートしてるから、何言ってるかわからない」と)
間近で津波に遭い、命からがら逃げてきた人の中には、波を見るのがこわくて(特に引いていく瞬間にまた大波が来たら、と思うそうです)精神的に参ってしまっている人がおられるそうです。本当に気の毒なことです。
1月6日
年が明けて少し落ち着いてきました。
相変わらずたくさんの方から励ましのメールや電話を頂いており本当にうれしいです。
また何人もの方から、「義援金を送りたい」とのお話しを頂き実家の両親とも相談して口座を開くことにしました。
今申請中ですので、番号が決まりましたら公開させて頂きます。
パトンビーチでは、スピードボートやジェットスキーの仕事をしている人が多く、その大半が壊れています。
ほかにも手広く商売をしていたり、財産がある人はすぐにでも修理できるのでしょうが、貯金の習慣のないタイ人のこと、しかもしばらくはお客さんも激減ですから、収入もなく生活が苦しくなってくるのは明らかです。
支援していただいたお金は、そのような人達にできる限りいきわたるようにしたいと思います。
こちらでは、復旧工事が急ピッチで進んでおり、瓦礫の撤去もあらかた終わりまた、砂の残っている道の清掃なども進んでいます。水に飲まれたお店も既に改装して営業をはじめているところもちらほらあります。
大きなホテルなどは、それなりに被害範囲も大きいので、時間がかかると思いますが、それでも日々進んでいる様子です。
砂浜にもショベルカーが入り地ならしが行われています。
ビーチチェアなどは、まだ使用できるものが少なくまた作業の妨げになるので置かれていません。
白人観光客がタオルを敷いて寝そべったり、海に入ったりしています。
まだ行方不明のままの方のことを考えると、遊びにお越しくださいとは言いがたい心境ですが、ごく一部の地域を除き観光は普通にできる状態です。
捜索の船やヘリももう見当たりません。
ただ、パトン地区に限って言うと、波に飲まれて使用不可となったトゥクトゥクもけっこうあり、また「おばけがでるかも」とびびっている(大の男が・・・と思いますが、廃墟のようになった建物があるような場所は確かに怖いかも)人が多く、夜間のトゥクトゥクは少ないので不便かもしれません。
日本での報道は被害をことさら書き立てるものが多く、面白がっているような掲示板での書き込みもあったりしますが、被災したものとしては淡々と日々をやっていくしかないです。
1月10日
なんだかんだで、4kg痩せました。精神的には落ち着いてきたと思うのですが体がついていかないようです。
それをだんなに言ったら「私が太ってるからって」とむっとしてました。
違うやろ・・・。
彼も余裕がないのでしょうが、なんでそこで優しい言葉が出んのかな。
私は食べたくても食べられないし、寝たくても寝付けないんだよ!と思いましたが、争うのも体力使うのでほっときました。
私がある掲示板に書いた内容が別のところにコピペされていた上それについて「よくこんなうそを」みたいな流れになっていた、のを偶然見てしまいました。(もしかしたらご存知の方もおられるかも)
改めて知っている事をここでも書きますと「パトンビーチで亡くなったビーチボーイはふたり、ビーチチェアなどその他のビーチでの仕事の人は8人、トゥクトゥク運転手ひとりです」建物の中で亡くなった観光客や地方から出てきていて遭遇された方などについては、地元の人ははっきりわかりませんので、それについてうそといわれても(しかも私自身が書き込んでないところで)困惑するばかりでした。
日本のメディアでは「オーシャンデパートで100人以上死亡」というような記事があったそうで、それを根拠に反論される方もおられました。が、実はその記事がそもそも間違っているのです。
ここ数年SARSや鶏インフルエンザでハイシーズンに観光客が来ないという事態が続いているため、今回のことでますます客足が遠のくことを懸念しています。
あまりにも事実と違う、いたずらに被害をことさら大きく書きたてているメディアの報道が多く、違和感を覚えました。
もう大丈夫だからぜひおいでくださいとは、まだ言い難い状態ですがパトンでは昼夜を問わず復興作業が進んでおり、たくさんの役所の方、軍人、ボランティアの方などががんばっておられます。
1月21日
毎日いろいろな話を聞いたりして、言いたい事はたくさんあるのに、なかなかうまくまとめることができず、また子供が体調を崩して入院したりもしていたので、こちらもくらくらしていました。
今のパトンは、お客さんもほとんどいなくて不思議な感じです。既に営業を再開しているパトンビーチホテルのゲストは、たったひとりだとか。それが日本人だということで、地元の人は喜んでいました。
だんなの知り合いからスリンビーチに人が多くて、ジェットスキーが足りないので出してくれと言われましたが、残念ながら我が家のはまだすべて修理中で当分は使えそうになく断りました。
徐々に修理の済んだ船などは、ビーチに出されています。
全体に観光客が減ったので、トゥクトゥクも仕事がなく一晩でも200バーツしか収入がなかったりで、たくさんの人がほぼ失業状態になってしまっています・・・。
先週カマラビーチに行ったら、偶然視察に来ていたリッキーマーティンを見ました!彼は40百万バーツの寄付をタイにしているそうで、病院を訪問したり精力的な活動をされていたそうです。
炎天下に、崩れた建物のそばでインタビューに答えているのを目の当たりにしてなんか、いい人だなーと思いました。売名などでなくて、本当に気の毒に思ってくれているのがすごく伝わってきました。
だんなの友達のトゥクトゥク運転手が、たまたま知り合った白人客が津波に遭い持ち物すべてをなくしてしまったので、家に泊めてあげてお金も貸してあげたりして、しばらく面倒を見たそうです。
そしたらその人は国に帰ってその話をしたらしく、オーストラリア大使館から「自分の国の国民を助けてくださってありがとう。」と連絡がありそしてオーストラリアにその家族の人を招待するという話しをされた
そうです。こういう話を聞くと、年のせいかいちいち涙腺がゆるんでしょうがないです。(今は少しの刺激で、すぐ泣いてしまうので・・・)
どさくさに紛れて、泥棒をするような人もいましたが、多くの人は自分たちも被害に遭ったにもかかわらず、もっと困っている人を助けました。それは各国のメディアでも報道されタイ人やタイの国に対するイメージは少なからずよくなったと思われます。
日本人会の人と話しする機会があり「ふだんはだらだらしている上お金を払ってもあまり働かないタイ人が、無償でもてきぱきと復興の手伝いなどを積極的にしているのを見て、やるときはやるな、と思った」と話すとやはり同意されていました。
観光で成り立っている島なので、がめついなどのイメージで捉えられがちですが、よそから来られて異国で災害に遭われ途方にくれている人に本当に親身になって、できる限りのことをした人達もいたのです。
友人のタイ人が「誰が優しいかわかった」といっていました。誰が自分のことを本当に大事に思ってくれていて、何もかも失った時に手を差し伸べてくれたかは、絶対に忘れないと。
(でもそこはタイ人なので案外すぐ忘れるかも、と思った私は・・・)
1月22日
昼ごろビーチに行ったら、パトンビーチと隣のメルリンビーチリゾートのあるビーチで亡くなられた方の合同慰霊祭があったようで、亡くなった方のお名前と年齢・国籍の書かれた札が砂浜に立てられお花が供えられて
いました。
「身元確認できず・外国人」と書かれた札も数枚ありました。
これらの方々のご遺体は、もちろんここに埋まっているわけではなく身元の判明している方々は、既にご遺族の元に戻っておられます。謹んでご冥福をお祈りいたします。
パトンビーチでは、多くの海沿いにあった商店が津波の直撃を受け半壊しました。そのため、今あちこちで修復が始まっています。もちろんまだ手付かずのまま放置されている店もありますが、どんどん内装ができていくところを見ていて思わず「こんなに早くできる店はきっとお金持ちなんだね」とだんなに言ったところ「銀行から融資を受けているところも多いよ。特別に利子は優遇されているけど」とのことでした。
我が家は幸い私が日本人だったので、多くの日本の方が援助して下さっていますが、地元のタイ人は本当に大変なようです。
近所には船やトゥクトゥクが修理中の人もたくさんいますが、「天災だから仕方が無いよ。また一から頑張ってやっていくしかない」と笑っていて、自分も落ち込んでばかりはいられないなと思いました。
22日の夜、バングラ通りのバーは、すべて無料という大がかりなキャンペーン?がありました。今後も雌雄客のためのイベントが単発的に行われるのではないかと思います。」
1月25日
ちょうど1ヶ月経ちました。
ほぼ毎日海に行っているのですが、直後の状態からよくここまで戻ったものだと感動すら覚えます。
毎日たくさんの人がごみを集めたり、海の中の清掃をしたり、夜間も補修工事などが行われていました。イルカの噴水があるところの食堂街もぼちぼち営業を再開する店が出てきています。
ビーチには、昨日からビーチパラソルとチェアが置かれ白人観光客が待ってましたとばかりに寛いでいます。
不謹慎と思う人もいるかもしれませんが、地元のタイ人にとってはそうも言っていられないのです。もちろん、この災害で犠牲になられた多くの方々のために、何回も慰霊祭が行われましたし、いろんな宗教の聖職者(キリスト教やタイ仏教、中国のお寺など)の方々も来られました。また、多くのタイ人がお供えをしたりもしました。
ビーチで仕事をしている人は、多かれ少なかれ恐怖を味わいまた知り合いや身内を亡くしました。それでも、これからもそこで仕事を続けていくしかないのです。
もし、こちらに来られるご予定をためらわれている方がおられましたら是非プーケット本島は全くご心配ないことを知って頂きたいと思います。その上で、気が進まない、不謹慎だと自粛されるのもご自由です。
ただ、私は旅行会社を経営している立場ではありませんから、決して自分の利益のために渡航をお勧めしているのではないことはどうかご理解ください。
1月27日
私は日本人だし、タイ国にビザをもらって滞在させてもらっている立場でもあるので、今まであえて行政に対する批判などは、避けてきたのですが、日本の皆さんにも現状を知って頂きたいと思いこのメルマガを発行することにしました。
津波から1ヶ月が過ぎましたが、パトン地区で被害にあった人達に対しての国からなどの見舞金は一部の人達を除き出ていません。今まで見舞金が出たのは、ホテルで働いていて失業した人達及びパラソルの管理をしていた人とマッサージの人達などでした。他の大多数の人達には、なぜか出るかどうかもわからないということになっています。
パトンビーチでは、個人で船やジェットスキー、トゥクトゥクなどを所有し営業していた人が多く、もちろんそれは違法ではありません。しかし現状では、我が家を含めたその人達は切り捨てられ、またその人達に雇われていたビーチボーイなども同様です。
前に津波の影響で失業した人に、生活費?として2000バーツが支給されるといわれ、市役所に行きましたが、もらえませんでした。また、被害状況を写真に撮って申請するようにといわれ、2度も申請しましたが、そのままになっています。
近所で船を数台所有していた人は、津波が起きた日の朝、買ったばかりの船を海に出し、修理できないほど破壊されてしまったそうです。それで、まだローンも払ってないので、さらにお金を借りるため銀行に行ったら、銀行ももうお金がないといわれ、ホテルなどが先だからと断られたそうです。
津波の瞬間、海上にいたビーチボーイ達は、そのまま沖にジェットスキーを走らせ、難を逃れました。そしてその後は、そのまま浸水している道路にジェットスキーを走らせ多くの怪我人を救助したりしたのです。
その映像は、テレビでも放映されていました。
また当日の夜も自主的にビーチを見回ったり、無償で清掃作業にあたったりした人もたくさんいました。
しかし、組織に属していないから、人数が把握できないから、という理由で全く被災者の対象になっていないのは、気の毒としか言いようがありません。
彼らの多くは、貧しい地域から出稼ぎに来ていて被害に遭いました。タイでも彼らのイメージは決してよくありませんが、悪人の集団ではないのです。
なんとかしてあげたいけれど、自分の無力さに歯がゆい思いです。