第十五回

 タイを愛する要素の中に「適度な後進国性」というのがないだろうか?
 ちょっと言葉が曖昧だけどもある程度成熟した(何をもって成熟と言うのかもわからないが)社会である日本の現実を見てみると便利さ、社会整備の成熟度などなどでは圧倒的に日本に住む方が快適・有利だと思われる。(日本人国籍としては)

 反対にタイに住むことを考えてみればまずデメリットばかりのような気がする。単に身近なインターネット環境を例にとっても多くの文句はあっても快適さなどは日本のインターネット創生期のような状態でもあるから便利ですとは言い難い。

 でも人が住むということは単にそういう事だけなのかとも考えてしまう。少々の不便さに目を瞑ったとしても自分の人生のリズムに合った社会というのはそれはそれで本人には居心地良さを感じさせてしまうかもしれない。特に青年期を機関車の如くつっ走って来た中高年世代にはとても楽に感じる環境かも知れないなとふと思ってしまう。

 ここバンコクは日々急速に社会整備や社会資本の充実は目を見張るものではあるけどもちょっと裏に入ればまだまだ昔懐かしい人々の生活がまだまだ主流を占めてるような気がする。ちょっと後進性というのは少し進んだ国から来た人にとってはすべてが経験済み・織り込み済みの事柄が多くそれらに対しては余裕を持って対処できるという傾向もあるでしょう。ちょっとステップバックした環境というのは毎日毎日新しいものに緊張を持って遭遇するよりは安心感があるような気もする。

 微笑みの国と称されるタイ人の社会(微笑みの国も最初だけです)は外国人にはすべてにおいてとても敷居は低いのでスタートがとても切りやすい。香港のようにギスギスした人間関係の中で暮らすのは私は到底考えられない。中庸というか何事に対しても曖昧な基準がスタンダードなこのタイの人々となら表面上、いや自分がタイ人の本質を完全理解させられるまでは居心地がいい愛すべき国だと誤解し続けることが出来ると思う。

 入りやすいけども卒業するまでに試行錯誤を重ねないと本当の事が浮かび上がらない国、それがタイのような気がします。先に書いた愛憎半ばというのはまだまだ卒業に至ってない状況で陥りやすい感情でもあるようです。というと私はまだまだタイから卒業できないのだろうか・・・・?