手術 その2
それからまた半年、とうとうタイでゴルフを始めた私とゆっきーは、その日も朝からゴルフ場にて下手なゴルフを堪能しに行っていた。そのとき悲劇は起きた。元々ヘルニア持ちだった私は、下手なスイングで腰を痛めその場から動けなくなってしまった。原因は下手なスイングと準備運動の足りなさと、雨で身体を冷やしたこと。しかも追い打ちをかけるようにゆっきーはさらにもう1ラウンド回ろうと言う。どんな挑戦でも受ける…ことになっているので、これを受けてさらに動けなくなった。ここから私の日常生活もままならない生活が長く続くことになる。
次の日さっそく病院で痛み止めを打ったが、全然身体はよくならない。とにかく歩くことさえ困難なのだ。しばらく時間が経って、やっと少し歩けるようになったが、お尻から左足にかけてずっと針を刺してるように痛い。歩けるのは3分くらいまで、まるでウルトラマン。この間に様々な治療を施してみた。カイロ、整体、針、気孔、牽引…、バンコクにあるのはほぼ試してみたものの、全然改善の余地なし。そこでまたも、相変わらずのバムルンラード病院に行って、事情を説明。MRIやら、X線やらいろいろ撮ったあげく、
「こりゃ切らなきゃ治らんぞ」
と言われ、すぐにでも手術と言う話になった。しかし、この段階では自分の父親も手術してよくならなかったことなどから、手術まで踏み切れなかった。しかし、このときの説明は結構驚かされた。日本でヘルニアの手術をしたらだいたい1ヶ月以上入院するものだが、ここでは長くて1週間。ホントカヨ〜。
それから数ヶ月この痛みと戦ってきたが、いっこうによくなる気配さえ見えない。このままで筋力が落ちて。よけい治らなくなるのではと言う心配が出てきたため、またバムルンラードに行くことにした。そしてこのときは半ば手術を決意して行ったので、最初からそういう方向で話が進んだ。医者によると、いくつかやり方があるらしく、その説明を一つ一つしてくれた。その中に日本でも少し話題の私好みなレーサー治療があって、これだと入院さえしなくていいと言うことだったのだが、残念なことに私の症状はすでにそれでは治せないらしく、速効ボツ。結局切って神経に障ってる部分を取り除くと言うことになったのだけど、もしもMRIを撮って前よりもよくなってたらやめようと言う話になって、またもMRIを撮りに行くことになる。MRIってかなり気持ち悪い音が出て嫌いな人が多いらしいが、私はぐっすり寝ていた。ちなみにお値段1万バーツくらい。メチャ高なシステム。で、この写真を見てみるとマジで手術したくなる。なんせ、神経の80%はつぶれてるんだもんね。これじゃ痛いわな。そんなこんなで結局3人の医者にたらい回しにされ、(向こうの手違いで予約していた先生が替わってしまったため)最後に出てきた一番偉いらしい先生が執刀することになった。
手術前日に言われたことは相変わらず
「何も持ってこなくていいです。本とか持ってくればいいんじゃない」
確かにこの病院には何でもあるからなあ…、と思いつつ準備をした。
当日、朝から検査をして手術室に向かう。点滴用の針を左手に指すのだけど、これが一番痛い。針が長くて、ズブズブって感じ。そして手術室へ向かい、さっそく全身麻酔。これはかなり気持ちいい。ってホントす〜〜〜〜ってかんじで遠くに行ける。起きたときにはもう別室。どのくらい寝ていたのかさえもわからな
い。うーだるいぜって思ったら身体は動かなかった。その後みんなの待つ病室に連れて行かれ、まるで投げ出されるかのようにベッド移動。痛いってばさ。
しかし、ここからが本当に痛かった。背中を切ってるから、背中の傷口が痛いというのに、寝返りも打てない。腰に全く踏ん張りが効かないので、とにかく動けない。床ずれになるって言う気持ちがよくわかった気がした。そうやって悶絶しつつ、痛み止めの薬を打たれながら一晩過ごした。絶飲絶食だった。次の日の朝、私の主治医はやってくると看護婦は言っていたが、タイだと言うことを再認識させれらるかのように、次々と時間が変わり、気がつけば4時になっていた。やっとやってきた先生と話したのはたったの1分。忙しいのはわかるがそんなんでいいのか?ってマジで切れそうになった。日本語通訳の人たちがお見舞いに来てくれて、ヨーグルトとか持ってきた。やっとご飯が食べられるようになった。けど、動けないから食べようがない。こういうときに助けてくれる人がいると助かる。感謝感謝。
手術後丸一日経過して、右にだけ転がれるとかそういう感じ。しかもその転がり方を間違えると息もできない。苦悶の日々は続く。 次の日は朝から先生がやってきた。お、やる気あるなって思ったのもつかの間、第一声が
「いつ退院しようか?」
はぁ?俺まだ動けないのに何言ってんだ???そんなの俺が聞きたいぜ。って思ってたら、「まず動き方を教えよう」とのこと。身体の起こし方から始まって、次々とステップを踏んで進んでいく。しかし、こっちは脂汗と冷や汗が出ている状態。もちろん先生はそんなことにはお構いなし。
「じゃ、歩こうか」
へぇ?もう歩くのか?なんて思ってる暇もなく、取っ手のついた掴まる小道具が用意されてきて、それを使って立ち上がることに。な、なんと、立った方が痛くなかった…。そしてそこからもう足を前に出せば歩けることが判明。マジでびっくり。
「はい、後はここで練習してください」
と言い残し先生は消え去った。オイオイ、なんてところなんだ、ここは。と言いつつも、うれしくってずっと歩いてしまった。この後病室の外に出てみてまたびっくり。すぐ近くの病室の前に警備員が立っていて物々しい。どこぞのVIPが来てるのかと思っていたら、タイのアイドル、ドームだった。お馬鹿な彼は飲酒運転で人を殺めてしまった上、自分も怪我してここにつれてこられたらしい。(ちなみにタイの新聞には部屋番号まで書かれてた)
すっかり歩けるようになって調子づいた私は、さっそく次の日退院を申請した。あっさり受理。親に電話したら親も驚いていた。そりゃ手術して3日目にもう退院して歩いてるなんて信じないわな。
それから1週間日々日々よくなってきているのを実感しつつ、再検査のため病院。抜糸をしながら、「これからは毎日20分以上走りなさい」とのお達し。もう走るのか…、なんて全然思わなかったね。だって、ここはタイだもん。
今回の経費、総計約13万バーツだった。これを高いと思うか安いと思うか、それはみなさんの判断にお任せします。私的には治ったから安いと思ってるけどね。
果たして次の手術は何になるのだろうか?できたらもうご勘弁ってとこだけど。