嵐の前の静けさ?

 いよいよタイに住みつき仕事をする事になった訳だが、その前にどうしてもやらなければならない事があった。それはある寺へのお参りであった。

 私は就職が決まる一週間前(一月半ば)に10日間程タイに来ていた。
 就職活動と、ある知人から仕事に関係しての相談があっての訪タイであった。
 その訪タイの時、妻が日本から電話で母親に連絡していた様なのである。
(今回は妻は一人日本に残っていた)

 それは仕事が見つからない時等に、お参りをすれば必ず御利益があると言う結構有名な寺のある島に行けという事であった。
 その島の名前は<ゴーシーチャン(グ)>といって、シラチャーの港から船で1時間位の所にある島であった。
 寺の名前は「ワット・カオヤイ」という。

 島に着くと同時に現地案内人があちら、こちらから群がってきた。
 しかし私達の方は、妻の姉があるサムローの運転手を知っていたので躊躇することなく、次の行動に移る事が出来た。
 (この島のサムローは、バンコクでは絶対見る事のない大型バイクのエンジンから前だけの物に乗車席をつなげた傑作品である。バックも可能だった)

 サムローで寺までは5分位の距離であったが急な上り坂だったので助かった。
 しかし寺は山の中腹にあり、入り口からは徒歩での階段上るりとなり運動不足の私には久しぶりに良い運動となった。
 初老の母親にとっては相当きついものになってしまったが。
 数十段上がったところに寺があった。
(この時点で汗が吹き出していた)

 こちらの風習に従って私も一緒にお参りをした。
(洞窟のような所に仏陀があったので一層暑く、汗が滴り落ちた)
 ろうそくや花をお供えし、仏陀に金箔をつけるというどこのお寺でも行う内容であったので、不謹慎だがこんな事をしても現実は厳しいのだと心では呟いていた。

 そんな、いかにもタイらしい仏頼みをして帰国したその一週間後に就職が決まったのである。

 これには、日本人である私にも何とも言えない驚きがあった。
 ましてや妻は、もうタイの計り知れない力を見せ付けた様に喜んでいた。
 そして1年間の私のプータロー生活が終わる事にも至極喜んでくれた。
 そして当然の様に、
「私の言った通りでしょう〜〜〜!!」と。
 確かに私も半分だけだが、仏の力を信用せざるを得ない気持ちになっていた。
(自分もタイ人と同じになっていくのかな〜とさえ思ってしまった?)

 それから二ヶ月後の今回は妻も一緒に帰国したので再びゴーシーチャン(グ)行きとなったのである。
 思し召しがあったのだから御礼に行くのは当然との事なのだ。
 寺では前回と同じ様にお参りした。

 今回は私も少し真剣にいろいろなお願いをした。
 家族の事・仕事の事・金銭面の事・日本にいる皆の事等々。
(多すぎて御利益が無くなるのではと思う位に)
 こんな時の妻はお布施には射止を付けずあらゆる所に100B紙幣を入れる
 タイ人でも驚く位である。その報いが後で来ると絶対的に信じているからこその行動と思われる。
 私は全部で200B位だったが、今後の御利益が少なくなるのかと心配した。

 そんなお参りをして数日後もう一箇所のお参りがあった。
 実は母親が、有名なワット・プラケーオにも行っていたというのである。
 同じ様にお参りが必要だという。

 こちらは、たまたま母親の兄弟が数日前に亡くなったという事もありその供養と併せてのお参りになった。
 また妻の姉が一緒に来たが、何とゆで卵を50個近く持って来ていた。
 それによくお寺で見かける大きな花輪やお供え用の花等結構な量になっていたので、相当目立っていた。

 それらをお供えした後、エメラルドの仏陀がある本殿に入り最前列での御礼をした。この日はどういう訳か韓国人や中国人そして日本人等の観光客がいつも以上に多く見られ、当然タイ人もいる訳で本殿内はギュウギュウ詰めで最前列まで行くのに随分時間を要したが、やはり最前列でのお参りは気持ち的にも違った。
 私がタイ式のお参りをしたら、横のタイ人がキョトンとして私を見ていた。
 何とも異様な光景に見えたのかもしれない。

 しかし、私としてはこのお参りを新しい仕事への踏み台にしようと心に決めた
 二箇所の仏様を踏み台にできるのは、この私しかいないと心で呟いた。

 今回で一様儀式的なものは全て終わった。
 嵐の前の静けさが終わり、いよいよ初出勤という嵐の中に飛び込む日が近づいてきた。

 管理人から
 タイにおいて、仏様の力は偉大であります。神様、仏様〜などと、誰にでもいいからすがる日本式も素敵ですが、仏様一本にしぼるのも素敵です。管理人はよくわかりませんが、今回のように違うお寺に行って祈った場合、この仏様ってのは違うのでしょうか?たしか○○仏とか言って違った気がするんですが…。さて、管理人もたまにはお寺に行かなくちゃあ。