ついにタイです

 成田空港を出発する時、SARS問題のせいか随分人が少ないと感じた。
 タイはソンクラーンの時期でもあり、もっと沢山の人が搭乗すると思っていたので何となく拍子抜けの感もあった。

 飛行機内では、やはり何人かの人がマスクをしていた。
 私と妻は左側3人席になったが、空席が随分あるのに隣に人がいたので真ん中の4人掛けに移させてもらった。
 が、その左横の3人の人を見て度肝を抜かれた。
 顔が隠れる位の見た事もない大きなマスクをしていたのである。
 マスクを殴ったら、殴った手が痛くなりそうな位に頑丈に見えた。
 思わず、相手に見えないようにして大笑いしてしまった。(失礼)
 当然、妻も。
(タイ人がよく言うオーバーの一言に尽きる)

 ただ、その位のマスクじゃないとSARSは防御できないとも聞いていたのでその人達が正解なのかとも思ったが、タイはまだ死者は出ていないし騒ぎにもなっていない様子だったので、やはり大げさに見えた。

 蛇足になるが、タイはSARSで死ぬと家族に200万バーツが支払われる。 
 一般のタイ人にとっては、夢のような金額だ。
 だからそんな事例は絶対無いという事を言いたい為の、タイ政府がSARSに関して出した安全性の高さのアピールなのだ。
(タイは観光での収入が大きな割合を占めるから外国人に悪い印象を与えない為の苦肉の策と思われる)

 そんな何とも言えない状況の中、4月10日のタイ時間午後11時近くの到着と思ったら、空港近くに来て飛行機内の到着時刻が1時間以上遅れるとの表示に変わっていた。
 滑走路がなかなか空かない為との説明があったが結局30分以上の遅延の到着になった。
 何ともいきなりの洗礼かと思ってしまった。

 いろいろあったが、無事空港に降り立ち家族の出迎えを受けた。
 こちらも相当の待ち時間があったはずだが、笑顔での歓迎であった。
 『微笑みの国タイランド』 そのままである。
 そんな天使たちの笑顔を見ながらも、
 やはり遊びで来る時とは全く違った気持ちでの第一歩になった。

《今回は遊びに来たのではない、仕事に来たのだ》

と、再度強く自分に言い聞かせた。
(家族の出迎えは今までと同じ雰囲気であったが)

 タイに移るという事もあり手荷物も結構な量になっていた。
 タクシーの運転手をしている叔父が来ていたが、トランクに入りきらずカバーが空きっぱなし状態になり紐でカバーと車体をつないで荷物を抑えての発進となった。
 以前にも書いたが、私のコンドーは空港から15分位で到着してしまうのでトランクが開いている位どうって事はないのである。
(いつでも何でもありのタイだから、全く気にしないでよい事だが)

 家に到着すると、いつもの事だがそこにはさらに何人かの甥・姪が来ていた。
 早速、ビールとジュースでの乾杯となった。
 残念ながら、飲むのは私と叔父だけなので少し寂しい気もしたが。
 タイに甥・姪が7人いるが5人が二十歳以上なのに皆酒は飲まない。
 当然タバコも吸わない。何とも健全な家族ではないか。
(逆に言うとそんな事に金を使っていられないというになる)

 しかしこの乾杯は、私の再出発の物凄く大きな乾杯である事に違いはない。

 4月17日の初出勤までにはまだ一週間あり、本格的な仕事の前にこちらでどうしてもしなければならない<タイ独特の行事>があった。

 それは妻や母親が、私を再就職へと導いてくれたという仏様への報告だったのである。


 管理人から
 
とうとうタイに到着したすーさん。やっとここから「タイで働く日本人」も本編に入ります。すーさんはもうタイで働いたことがあるので知っていますが、タイは遊ぶのと働くのではエラい違う国です。管理人もつくづくそのことを味わっている今日この頃だったりします…。