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2月14日

今回の被災にさいしまして、口座を開設以来現在まで多くの方から暖かいご支援を頂いております。本当にありがとうございました。私が直接入金確認をするのは困難ですので、実家の両親よりお振込みいただいた皆様に入金済みを確認する意味も込めてお礼の手紙を郵送させてもらっております。
また、私のほうにメールでご連絡頂きました方には、もちろん私がお礼のメールを差し上げております。
本来ならば、当然私のほうから、頂きましたすべての方に手紙や電話でお礼を申し上げるべきなのでしょうが、諸事情でこのような形をとらせて頂いておりますことをご理解下さいませ。

一部の方から、「家があり、生活にも困っていないあなたが被災者とはいえないのではないか」というようなご指摘や、「お金を集めるだけ集めておいて、その後何の音沙汰(メルマガの発行を含め)もないのでは、詐欺と思われても仕方ないのでは?」というようなおしかりも受けました。
いろいろなお考えはあると思いますが、商売道具の破損により多額の修理費が発生しておりますこと、またその修理等に奔走しておりなかなか時間がとれませんこと、さらに観光客の激減により、以前より決して軌道に乗っているとはいえなかったトゥクトゥクやバイクのレンタル、部屋の貸し出しなどによる収入も、津波後一切得ていないことなどをご考慮いただけましたら幸いでございます。

皆様より頂きました貴重なお金は、できるだけ有効に使いたいとの思いからまだ使い道を検討中でございます。
前にメルマガでも書きましたとおり、タイの政府や県、その他の任意団体等などからの見舞金等は現在までパトン地区の大半の人のもとには、一切届いておりません。
多くの人が借金で自ら再建していくしかない状態です。
我が家は、毎年春に一時帰国するため、わずかですが貯金しておりましたので、今年は帰国をあきらめその資金を再建に充てております。

主人は、市役所からの任命によりここ数年パトン地区の町内単位での代表をしております。また、先日のパトンジェットスキー連盟の会議で理事の一人にも選ばれたようですので、それらの活動を通じて個人の詳細な被災状況が把握できる立場にあると思います。
私個人では限界がありますため、皆様からのご支援を生かし、パトンの復興の手助けをさせて頂けますことを大変感謝しております。


2月15日

ぬけるように青い空にエメラルドグリーンの海を窓から眺めながら、ここ数日、風邪を引いて寝込んでました。

今のパトンビーチは、白人の年配の方が戻りつつありますが、やはり子供連れの方などは見かけませんし、非常にさびしく活気がないです。うちは、ふたりビーチボーイを雇っているため、その人達の生活も考えると私は暗くなってしまいがちなのですが、その点タイ人は「過ぎたことは忘れる意外と楽観主義」なので、慰められることが多いです。
彼らは田舎から毎年この時期だけ出稼ぎに来ているのですが、今年はハイシーズンにこんな状態なため、本当はとても困っているはずなのに。

義母は、さりげなく大量におかずを作り「余ったから」といって彼らに差し入れたりもしているようです。
もともとタイでは、助け合いすることがいいことであるといわれていますが実はそれは自分が徳を積むためであったりして、助けられるほうも自分はかわいそうなのだからしてもらって当然、お金持ちに徳を積ませてやっている、という感覚で受ける人も多いです。
なので、今までこちらが気の毒に思って何かしてあげても「日本人だから」「自分よりお金があるから」と感謝もしてもらえず(感謝して欲しいからしているのではないけど、態度が大きすぎ・・・)いい気持ちがしない、ましてや逆に「この前助けてもらったから今度は」なんてことは考えられないことでした。

しかし、今回の津波に関してだけは、「あの時本当に命からがら逃げて困ったときに助けてもらったから、今度は自分ができることをする」というような気持ちでいる人は多いようです。
そういう連帯感というか団結していくことこそが、復興において大事なんじゃないかと思います。それぞれができる範囲でできることをするのが、最終的に大きな成果となって現れるのではないでしょうか。


3月12日

ご無沙汰してしまいました。2月の半ばから体調を崩して寝たり起きたりしていました。
ある日朝起きたら、首が回らなくて「寝違ったかな〜」と思っていたら日に日にひどくなり、熱はでるわ、頭がわれるように痛くなるわ、吐くわであまりのことに自分でもびっくりしつつ、しばらく寝てました。
痛み止めと湿布などでだいぶましになってきたのですが、結局何だったのか。
首から肩にかけて半身だけが痛むので、何かと不便。もともと肋間神経痛を持病で持ってるので、やっぱり神経痛なのかもしれないけど・・・。
体力はないものの、病気がちではなかったのに、最近どうも調子が悪いので嫌だなぁ・・・歳だとは思いたくないし。もう少ししたらまた家族で走ったりしようと思います。

昨日はセントラルデパートで、ホンダのアシモ君ショーがあるので行ってきました。予想通りものすごい人出でしたが、なんとか2Fに見る場所を確保。
周りがうるさくて音はあまり聞こえなかったけど、もともとタイ語で何言ってるかわからないんだから、別に関係なかったし。
テレビでは見たことあったけど、実際見るとかわいくて動きののろさも愛嬌があって、子供にも大うけしてました。
びっくりしたのは、観客席のイスの前にかなり広いスペースがあったのですが直前になるとそこにまでたくさんの人が座っていたこと!
確かにイスの人たちの前に座っても、イスの人が見えにくくはならないけどそこは座るスペースちゃうし・・・。なによりショーの1時間も前から最前列のイスに座って待ってた人の立場は!?いかにもタイらしい秩序のなさに思わず笑ってしまいました。


3月19日

ミスタイランドの人達がプーケットに来ていました。
パトンビーチでジェットスキーに乗っているところを撮影するというので見に行ってきました。
着いたらビーチバレーの最中でしたが、やっぱり背が高い!
そして白い!
息子は「このお姉ちゃんたちは、日本人だよね?」というしまつ・・・。たぶん片親が白人なんだろうけど、タイ人には見えないのでしょう。

で、バレーが終わってジェットスキーに乗ることになり、うちのジェットスキーが撮影に使われることになりました。
(前もって市役所から話しがあったそうで、準備してたみたいですが)テレビや新聞の取材陣のフラッシュが焚かれる中、だんなと友達が二人のミスタイランドの人達が乗る手助けをしました。
1台にミスタイランドの人達が乗って、もう一台にはカメラマンと運転手の人が乗り、並んでの撮影なども行われていました。

このジェットスキーは、今月初めにやっと修理が終わったものの全然お客さんがなくて、むなしく海に浮かべてあったもの・・・これを機会に運が向いてくればいいなと思います。


3月20日

パトンビーチには、ようやく白人観光客が戻りつつありますが、バカンスの季節も終わってしまったのか、高齢者が多いです。
口の悪いビーチボーイは「今は、100歳ぐらいのひとばかり。
パワーがないから、マリンスポーツしてくれない!」と言っていました・・・。
確かに日光浴はしていても、海で遊ぶっていう感じでもないし、なんか全く活気は感じられないかも。

とはいっても、家に置いておくよりはと、みんなジェットスキーを修理してとりあえず海に浮かべてみたりはしているようです。だんなは壊れた4台のジェットスキーをひとりでエンジンに至るまで全部分解し、使える部品とだめになった部品を分け、買い足したり組み合わせたりしながら、なんとか2台は使えるようになりました。
あとのものは、部品はともかく外側が壊滅的に割れているので、今お金をさらに使って直してもお客さんもいないしということでそのままになっています。
外側の一部割れたところも、繊維質を買ってきて専用の糊で貼り付け乾燥させた後、でこぼこを紙やすりで削って表面をならし、スプレーで色を吹き付けたり、という気の遠くなるような作業を黙々と2ヶ月ぐらいこつこつとやっていて、感心しました。

お店に頼むより早いし安いから、自分で、と頑張ったようです。
やればできるんやん、というか、今までは何事にもやる気がなかったようななんとかなる、という態度だったのが、津波の後からは、やらないと何も進まないということを自覚でもしたのか、何事にも積極的になったような気がしています。
自分のことだけでなく、周りの人とも協力して、今後のことを見直ししたりとか、地域の会議もよく開かれていて、いろんなことをよりよくしていこうという試みがあちこちで見られるのでその影響もあるのでしょうか。
いずれにしても、彼なりに人生の転機になったことは間違いないようです。


3月21日

タイのニュースで、「日本で地震です」と福岡の地震が大々的に取り上げられていました。
以前から、日本でタイのニュースを目にするより多く、こちらでは日本のことを報道していると感じていたのですが、今回は津波のこともあり、地震に敏感になっている様子でした。
国民的に関心が高いということでしょう。
日本のテレビの画像が使われていて、画面に「津波注意報がでています」などと、書かれてあったのを見て、この前の津波の時のことをまた思い出してしまいました。

日本にいた時は、それが普通だったから、朝地震があった時にとっさにテレビをつけてCNNを含むすべてのチャンネルを確認したのです。でも、どこにもそんなものは出てなかった。
日本ならテロップで「何時何分どこどこで地震がありました。」とまずでて、それから各地の震度や津波があるかとか、ずっと流れるので、そのことを当然と感じていたのです。
そのシステムが確立されているということは、それだけ地震が多く危機管理が徹底されているからに他ならないわけですが、それがいかにすばらしいことであるかを改めて感じました。

今回北九州で被災された方々、突然の災害に本当に動揺されましたでしょうし、しばらくはいろいろと大変だと思いますが、どうか一日も早く以前の生活に戻れますように、心から応援しております。


3月22日

少し前のメルマガにも書いたように、体調がすぐれず疲れやすいので、このところ寝たり起きたりの生活をしていました。最近無駄に暑いのと、ストレスなのか不眠や食欲不振などにもなっていて思わず愚痴ってしまったわけですが、そしたら読者の方にお医者様がおられてメールを頂きました。
もしかしたら結構深刻な病気かもしれない、と教えて頂いたのでさすがに病院に行ってみました。
自分でも、その方のアドバイスをもとにネットで調べたところ、あまりにも症状が一致しているので、検査入院も覚悟して、いろいろ準備して望んだのですが・・・結果は「なんか、それとは違うみたいですよ」

緊張性なんとか、でストレスから肩や首の筋肉が炎症をおこしているとかなんとか。(よくわからず・・・)
「集中してなんかしてませんか?」といわれてだんなが「ずっとパソコンを下向いてやってる」といったら、それででしょう、だって。ま、そんなことならいいんですけどね。薬で緩和して、続くようならマッサージもやりますということで帰されました。

そういえば、デスクトップを机に置いてるので、最近日本から持ってきたノートパソコンは配線の関係で床置きなのでした。さらに、タイではご飯の時おかずなどの入った食器をじかに床に置いて取り分けたりするし。
気がつくとうつむきがちな生活をしていたかも。これを機会に生活を改善し、上を向いて歩こう!じゃなくて、姿勢を正します。


3月23日

日本から知り合いが来られていて、会いました。
プーケットには何回も来られているので、こちらでの知り合いも多く、津波の影響を心配され、いらしてくださったのです。ビーチを通りかかったところ、たまたま私の友達のビーチボーイに遭遇。(異常に目がいいので、はるか彼方から私に気づき、へらへらと近づいてきてるのが、目の端に入っていたけど)しばらく世間話をして別れた後「お知り合いですか?」と聞かれふと、思い返してみると・・・かなりすごい見かけだったかも。

なにしろ上半身裸やし、そこに色鮮やかな刺青がびっしりでしかもどっちが前かわからんほど黒々日焼けしてるし・・・。
これ以上ないくらい怪しさ全開です。
相手が18歳ぐらいの頃から知ってるので気軽にしゃべってるけど、突然あんな人に話しかけられたら、ひくな・・・。
何か年々パワーアップしていってるような気がするのは、仕事柄なんでしょうか?
彼は、津波の時お客さんを誘導していて、波に飲まれてしまい少し怪我もしたと聞いてましたが、ものすごく大きいお坊さんのお守りが胸に燦然と輝いていました。
そのお守りの大きさが恐怖を物語っているような気がしました。


3月24日

今春休み(夏休みかも)なので、よく子供を連れて公園に遊びに行く。
海の近くに滑り台やブランコなどが置いてある広場があり、そこの近くでご飯を食べてから午前中あそんだりするのだが、いつも放置されている数人の子供がいる。両親とも近くの食堂で働いていて忙しいので、4〜5歳のその子達は勝手に遊んでいる。
いつもいるので、うちの子ともよく遊ぶが、たまに別のグループの子とけんか?すると私のところに泣いて駆け寄ってくる・・・。私が母じゃないのですが。

そして「のど乾いた。水買って」と私のところに来る。親のところに行けよ。たまにならいいけど、何で毎日毎日毎日君達の分まで水を買わんとならんのじゃ〜。
近くにいるほかのタイ人のお母さんのところには、例えそこの子供とも遊んでいても絶対いかず、わざわざ日本人の私のところに来るのはなぜ??子供ながらに「この人はお金持ってる」と感じているのか?
タイ人はおねだり上手なので、なんかいつもたかられているような気がするのだけれど、子供にまで・・・。いや、子供ってそんなものか。
問題は、大人になっても同じ感覚で「ビール飲みたいなぁ〜」などとかわいく言ってくる知り合いのタイ人達なのかも知れない。


3月25日

我が家は今蟻の大群に包囲されているのかもしれない。
なにしろ2週間ほど前から、異常に蟻が目に付く。タイの蟻は何種類かいるのだが、今回うちにいついているグループ(なのか?)はその中でもけっこう攻撃的で軍隊の数も多いと思われる。
最初は、日本食の保存庫(箱)が攻撃され、中に入っていたベビースターラーメンが食い荒らされた。って、封開いてなかったのに?!
しかもビニールにも包まれていたのだが、どこからか臭いをかぎつけて食いちぎって侵入、中身に群がっていた・・・。さらに側にあった麦茶のパックにまでわらわらたかっていたので、捨てざるを得なかった。麦茶なんて食べないだろうに、なんでたかるのか??
こっちは貴重な日本食を荒らされ怒り心頭である。

さっそく報復に「蟻の巣ころり」をばらばらと撒いてみる。
今まで長年戦った結果、殺虫剤では根絶できないので、これが一番効果のある方法なのである。
どんどん巣に運ばれていく薬剤を見て、ほくそえむ私。
ところが!普通は、ふつかもすれば姿が見えないまたは大量死しているのが発見されるはずなのに、今年のやつらは群れを分散しているのか
死んでも死んでも別のが現れる。
しかも、台所をたたくと居間に移動し、そこに薬をまくと今度は寝室に・・・と、きりがない。
外からもどんどん入ってきているようだし。
けっこう高いんだよ・・・蟻の巣ころりは。
だんなは「蟻ぐらいにそんなにめくじらたてんでも」というが、こいつらは特にちびっこい種類なのに、やたら刺す。
そして、私だけ刺されたところが腫上がる。(日本人で免疫がないから?)
ゆ〜る〜せ〜ん〜。
昨日も寝てたらかまれて、それから痛くて寝られなかった。
今日も今から戦うが、そろそろ薬に耐性を持つ世代が現れるかもしれず、今後の作戦を考えねば・・・早く平和を取り戻したいものである。


3月26日

年末からうちに犬が住みついている。だんなが餌付けしてしまったので、うちの家族には懐き(何かもらえると思っているから)よその人が来るとものすごくほえてくれるので、防犯にもよくてそのままにしていた。
が・・・この前、庭先にある植木の鉢から根のような物が見えていたので思いっきり引っ張ったところ、でてきたのは、リスの死体・・・。うぎゃーーと声にならない声をあげて、だんなに報告。
しっぽがふさふさしてたので、植木の根かと思って触ってしまったがな。
タイの野生のリスは、大きいのだと数十センチありそれはしっぽだけでも20cmぐらいあった。しかも半分食われてるし・・・。

その時は、まさか犬が取ってきて埋めてるのだとは思わなかったのだが、そのことがあってから、鳥はとってきて羽だらけだわ、近所で飼ってるらしい鶏のひなも盗って来て食い散らしてあった。
もともと野良犬だし、餌をやっていても子犬が6匹もいるので全然足りてなかったのだろうが・・・あまりに野性的すぎてこわい。私には自分のことも子犬もさわらせてくれる優しい犬なので、意外にたくましい一面を知り、なんか怒らせて襲ってきたらどうしよう、とか、生きるってそれだけ大変なことなんだろうなとか思ってしまう。
それにしても、狩猟して生肉食べてるタイの犬と日本の座敷犬は友達にはなれまいな。


3月27日

昨日夜にミスタイランドの選考があるというので、テレビを見ました。
最初候補の人が40人ぐらいいて、それを10人、4人と選考していくものですが、どの人も当然きれいで背が高く色白。しかも、まだ学生で19歳とかです・・・。
感じが似ているというか、なんだが誰が誰なんだか私には同じに見えてよくわかりませんでした。
タイ語でのアピールもなんかよくわからないし、途中で寝てしまいましたがだんなは熱心に最後まで見ていたそうで、朝「一番は、うちのジェットスキーに乗った人だったよ!」とうれしそうに教えてくれました。

ジェットスキーに乗った人は、二人乗りしていてその後ろのほうの人だったとのことですが、前の人がえらくかわいかったため、そっちの人ばかり写真撮ってて、もうひとりは見てなかった・・・。
顔だけでなく、知性とかいろいろ総合で決まるといってましたが、やっぱりその人の顔も全然思い出せない。というか、写真撮ったほうの人も微妙に髪型や化粧が変わっていて、いまいちわからなかったし。
個人的に一番きれいやなぁと感じたのは、司会にでていたタレントの人で、その人ばかり見ていたのでした。


3月28日

たぶん2回目だと思う食堂でご飯を食べた。前に来た時は、お腹がすき過ぎていたためか気づかなかったが、机の脚になっているのは古い足踏みミシンであった!その上に石の板を取り付けて机にしていたのである。見回してみると、ほぼすべての机が同じもので、ただのよくあるトタン屋根の食堂とばかり思っていたら、実は密かにこだわりの店だったようである。
そういえば、観葉植物もさりげなく何種類も窓辺に飾ってあったり、壁の一部がお酒の箱を並べて敷き詰めてあったりと、そこここに店主の趣味が感じられてしまう。

その隣は広場になっていて、食後ぼーっと眺めていると、鳥が放し飼いされていた。
タイではよくある風景だが、その鳥は・・・七面鳥!?ではないか。
なんでこんなとこにこんなものが??とだんなに聞いてみると、タイでもたまに食べるとか。タイ語の名前も教えてくれた。(すぐ忘れたけど・・・)ターキーといえば、昔アメリカで食べたターキーサンドイッチってすごくおいしかった記憶がある。あれはもう食べることもできないんだなぁ、などと感傷にふけったこともあったのに、プーケットで飼ってるなんて。
タイ人用に売ってるならどっかの市場に出回ってるのだろう。10数年ぶりにぜひ食べてみたい〜と思いました。


3月29日

昨日寝ていたら、突然起こされ「津波が来た!みんな逃げてる。音聞いてみて」といわれて飛び起き外に出てみると、海のほうからサイレンの音やバイクの音、車のクラクションなどがぐわーっと聞こえてきました。
何が起こったのかよくわからず、呆然としてしまい、「またビーチ全部流された」とだんなが言うのを聞いて「これはもうお客さん来ないだろうな」とか「もうここで今後生活していけないかも」と考えました。
しかし、とりあえずテレビをつけてみるとタイの民放でもCNNでも既に報道が始まっており、余震なのだとわかりました。しかも、まだインドネシアにも津波は来ていないが、避難勧告が出されたといってるし。

携帯電話はすぐに繋がらなくなり、だんなもわけわからずパニックになっているところに、だんなの実家からみんな避難してきたりして一瞬混乱しましたが、テレビを見せ、余震についても話しました。
タイでは地震がないので、余震があるということを知らないため、また大地震が来たと思ってたみたいです。

今回は、地震もパトンではほとんど感じられませんでしたが、いち早く市役所から有線放送で、また地震があったことや津波に備えて避難するようにとの警告がだされたため、一時は騒然となったものの、その後も情報が逐一伝えられ、大きな混乱には至らなかったようです。
私が起こされたのは、12時過ぎでしたが、テレビではどこもニュースをやっていたので、すぐに状況が把握でき、個人的にもパニックにならずに済みました。
2時半頃に、CNNで地震リサーチセンター?の人が「津波の心配はなくなった」といったのとほぼ同時に有線放送でも、タイ語でその旨が伝えられ、避難していた人達もあっという間に帰っていきました。

その頃には異変に気づいた付近のアパートの白人達も起き出して来て声高に話し合ったりしていたのと、夜中の数時間をかなり緊張して過ごしたため興奮してしまい、結局寝られませんでしたが。
もしまた津波が起こったら、確実にこちらにくるのでしょうし、せっかく元に戻りつつあったビーチや建物が前と同じぐらい壊れるかもしれない、そして、前に近い規模の津波があれば、もうお客さんは当分戻ってはこないだろう、うちで仕事を手伝ってくれてる人達も田舎から戻ってきてくれたばかりなのに、また仕事がなくなってしまう、そんなことをニュースを見ながらずっと考えていました。
だから津波は来ないと聞いた時は、本当にほっとしました。
で、4時頃カレーなんか食べてしまい、胸焼けするし・・・。
もうろうとして、朝を迎えたところ、この前の津波のときに知り合ったというバンコクの新聞社の人から、だんなに電話がかかってきました。かなり長い間、こちらの様子を教えていて、その後日本の記者の人に代わり、私もいろいろ聞かれました。

今回は、何事もなかったためプーケットの様子は大々的に取り上げられる機会もないと思いますが、インドネシアの方々は本当にお気の毒です。3ヶ月経ち、やっと少し落ち着いてきたところだったでしょうに、真夜中に最大の余震が来るなんて。津波は、今回のように情報が入れば、心の準備もできますが、地震は突然襲ってくるし、避けようがないのですから。
どうか、少しでも早く元通りとは行かないまでも少しでも以前に近い生活を取り戻されますようにと願わずにはいられません。


3月31日

日本から友達が来ていたので、ビーチの近くのサバイレストランでご飯を食べていたら、突然だんなから電話が掛かってきて「いま、どこ!!?津波来るから早く逃げてーー!!!」と叫ばれた。
で、食べかけのままあわてて店の外に出て海のほうを見たけど、なんにもなってない。でも、電話では「今すぐ!走れ」とかいうので、店の人にも「津波」とかいってあわててお金払って、バングラ通りのほうに行った。
少ないながらもビーチには人がいるし、知り合いが仕事してるあたりを通ったので、そこにいたたぶんだんなの知り合いだろう人にも必死に伝えてロイヤルパラダイスホテルに逃げようと思い、バングラ通りのオーシャンのところに来たら、また電話掛かってきて「パトンはだいじょうぶだった」って。
もう、心臓バクバクして汗だらだらやったやんかー!
「そうなん?で、私はどうすればいいの?」というと「続けてご飯食べれば」などとのんきなことを言う。既に片付けられてるに決まってるわ!
そして「なんかひとりパニックになってた変な日本人」としてしばらく語り継がれる予感・・・。(レストランの人、お騒がせして済みませんでした)

なんでも沖のほうにあったアメリカかどっかの海軍の船が高波を観測し警報をだした、とかいうことでしたが、敏感になってるんでしょうが、少し落ちついてくれ、と思いました。
その時点で避難してる人はまだ少なかったけど、もしサイレン鳴り出してみんなが一斉に逃げたしたら混乱に巻き込まれて怪我することもあるだろうし、訳わからず逃げ遅れたりしないとも限らないので、いち早く教えてもらえたのはとてもうれしいのですが。
だんな自体がめちゃめちゃ取り乱してたし、あわてて逃げたので足が靴ずれして痛い・・・。(そんなくらいで済んでラッキーなのか?)

その後のんきに「夕方まで海に行っててもいいよ〜」という電話も掛かってきましたが、精神的にかなり疲れたのでそんな気になれず、家に帰った。
一時ビーチのあたりは騒然としましたが、警察車両がマイクで「今のは誤報」みたいなことをすぐに言って回っていたので、騒ぎには至らなかったようです。それにしても、こんなことが続くとかなりきつい・・・。
ほっとしたら、なんかいろいろ前のことを思い出し、ちょっと涙出てきてしまいました。
海の近くに行かなければ、いいだけなんですけどね・・・。