ママはムエタイ戦士 〜いざゴング〜

 オードリーさんがリングへ向かう前に我々もセコンド人と一緒にリングサイドへ。当然女ムエタイ戦士は珍しい存在なので、観客から嬌声が起こる。それに対してムカついても仕方のないことだが、やはり男として情けないというのは事実である。さてさてオードリーさんの入場である。そんな嬌声をものともしないほど集中している。戦いの場に男も女も関係ない。まさにそれを態度で示しているようであった。しかし、リングに上がると酔っぱらったタイ人が「日本の女だぁ!」などと変に盛り上がっている。まあ、たしかに日本でも同じ展開なら変な盛り上がりを見せるので、タイだからどうこうというわけではないが、やってる本人達にとってはつらいことの一つだろうなあと思う。
 相手のタイ人はかなり若い。そして前にオードリーさんがけっこう苦戦した相手に圧勝しているとのこと。なんと言ってもここはムエタイ王国、まさに本場である。どこにどんな強い相手が潜んでいるか分からないのだ。当然オードリーさんの表情からもその緊張を感じられる、かと思ったらリングに上がったあとのオードリーさんからそんな緊張感はみじんも感じられない。やるぞ!という意気込みだけが伝わってくるようであった。
 
 そうこうしているうちにアナウンスが終わり、ムエタイ特有の戦い前の儀式、「ワイ クルー」が始まる。この「ワイ クルー」はまあ言ってみればその人となりが見えると言っても過言ではない。タイ民族楽器が奏でるメロディに乗せリングを回りながら戦いの神へ祈りを捧げるのだ。この時のタイミングといい、踊り方といい、人それぞれオリジナルなのであるが、この時オードリーさんが行った「ワイ クルー」は、相手のタイ人女性に向かって、「刀を振り下ろす」動作を取り入れたもの。日本人ムエタイ戦士が時々見せるのですが、これで会場は大盛り上がり。相手もそれにはけっこう驚いていたようで、セコンドが活を入れていました。


 
そして運命のゴング。
まずは軽く手合わせ。この段階で管理人には少しイヤな予感がよぎる。相手のキックの方が数段速いのだ。これムエタイ的にものすご〜くヤバいのである。ムエタイをキックボクシングの延長くらいに思ってる方も多いと思うが、実はまったく別のスポーツに近い。実はムエタイというのはほとんどが判定で試合が決まり、派手なKOというのはないのである。これはムエタイで賭博行為を行うために必要なことで、早く決着がついてしまうと賭博行為が成立しないため、非常に実力の均衡した選手同士が試合をするためである。もちろんレベルが違う選手同士が試合をすればあっという間にKO決着である。が、そういった試合はほとんどなく、そういうものがムエタイと知り尽くしているタイ人には、「判定で勝てばいい」と言う気持ちが大きいのだ(もちろん出来るならKOしたいと思っているが)。そしてキックの差というのはそのまま判定のポイントの差なのだ。ムエタイでは相手に与えたダメージとか、攻勢だったとか、有効打の数とかはあまり重要ではない。何よりもまず「蹴る」のだ!
 「蹴られたら蹴り返す」
 例えそれがブロックされたとしても、それはちゃんとポイントになるのだ。たいていの外国人ムエタイ戦士は結局これで判定になると負ける。ルールを理解していなかったりするケースもあるが、それ以上に足技でタイ人に勝てないのだ。何せスピードと手数が違う。そしておそらくそうであろうと管理人が危惧していたことが目の前のリングで展開されはじめていた。
 
 普通ムエタイの1ラウンド目というのは、様子見で終始する。ある意味競馬のパドックと返し馬みたいなもので、これで観客は今日の調子を見たり力関係を把握する。そしてどちらの選手に賭けるか思いをはせるのである。しかし外国人選手とタイ人選手の場合そうはいかないことがほとんどである。前述したとおり5ラウンドしかない戦いの中でKOを狙っていかなければならないからである。そしてこの日のオードリーさんもまさしくそういう戦法で1ラウンド目から飛ばしていた。ちなみにムエタイでKOが決まる場合、それはほとんどパンチであって、キックではない。しかしポイントはキック重視。これがどういうことだかおわかりだろうか?つまり判定で負けそうになった選手は後半、ほとんどキックを使用しない。パンチで相手を倒しに行くのだ。日本人がタイ人相手にムエタイする場合、ほとんどパンチでのみ勝てると思ってよいので、この場合のオードリーさんの作戦は特殊なものではなく、まさしく考えた上での作戦であったことだろう。

 相手の方が蹴りは速い、が、パンチでは確実に勝っている。正確には相手はほとんどパンチを繰り出していない。あくまでもオーソドックスにムエタイをしているのだ。しかしそんな中で管理人は一つ大きな光明を発見することになる。クビ相撲である。そう、あのムエタイ特有の相手のクビに手を絡ませ、ヒザで相手のボディをたたき合うあれである。蹴りだけではなく、タイの選手はこれが非常に強いのだ。たいていこれで日本人はポイントとスタミナを落とす羽目になる。たしかに相手の方がクビ相撲がウマい、と言うか強い。が、オードリーさんは独特の動きでそれを裁きながら離れることが出来るのだ。ボクシングではクリンチ状態になるとレフリーがすぐブレークしてくれるがムエタイでは自力で離れなければならない。つまり非常に時間を要するプレーなのだ。しかもこの間にポイントまで取られるおまけ付で。この状態を普通の人よりも速く脱出できるのは非常に有利である。そしてオードリーさんの得意技もまたショートレンジからのパンチとヒザだったのが相手があまり組み付きたくないと思わせる十分条件を兼ね備えていたのだ。後ほど聞いたところによると、なんとオードリーさんはもともとシュートボクシング経験者だったのだ。シュートボクシングってのはキックボクシングに投げ技が入ったような、今で言う総合系の走りみたいなもので(これを管理人に書かせると長くなるので割愛)おかげで組み付いてからの裁きがウマくできていたらしい。

 しかし1ラウンド後半、管理人はオードリーさんの最大の秘密に気づくことになる。なんとオードリーさんは右のオーソドックススタイルをしながら、実は「サウスポー」なのである。つまり普通右利きは左手が前にある格好をするわけで、同じく左利きは右手が前にある格好をする。あくまでも利き腕でない方でリードを取り、利き腕で決めにかかるわけだ。しかし左手を前に出して、リードパンチも左で出しているにもかかわらず、右のパンチは俗に言うハンマーフック(大振りのフック)がほとんどで、蹴りも左中心。右手は相手を抱え込むときに使っているようだ。これはおかしい、そう思った管理人はその後の左からのショートフックとストレート、左のキックとヒザ、このコンビネーションを見て、間違いなく彼女はサウスポーだと確信した。これをやられると最初相手は間違いなく戸惑う。なにせいつもと勝手が違うのだから。(実は管理人自体右利きで同じことをするのですぐ気がついたのであるが…)

 さて、そうこうしているうちに1ラウンド目は平穏に終わった。となりのmickyさんはかなりエキサイトしているようだった。
 「これは勝ってるよね?」
と聞かれたので、
 「イヤ、ポイントではまず間違いなく負けてますよ」
と答えた。
 そしてムエタイのルールを簡単に説明すると、先ほどオードリーさんから説明を少し受けていたらしく、
 「彼女もそのことを分かっているようです。あれだけ押しても負けですか?」
やっぱりみんなそう思うよなあ、だってキックボクシングなら完全にポイント取ってるんだから。でも、やっぱりこれは負けているわけです。オードリーさん自身もそう思っていたらしく、
 「倒さなくちゃ勝てないと思ってました」
とは試合後に聞いた1ラウンド後の感想である。

 ちょうどそのインターバルの時、管理人がそこにいるのではと思わせるほどのマシンガントークをぶっ飛ばしてリングサイドのアナウンサー達はこう解説していた…。

 「日本の女、男のようなパンチです。」
 「そうですね、あの筋肉はボディビルだーのようです。」
 「あのパンチは痛いでしょうね。」

 「そりゃもちろんです。相手がかわいそうです!」

 場内爆笑に包まれていました。が、オードリーさんはそんなこととはつゆ知らず、セコンドのアドバイスに耳を傾けていました。そして第2ラウンドが始まったとき、思わず管理人も大声で声をかけてしました。

 「左から回り込んで殴れ!」

 その声に小さくうなずきながら相手との距離を詰めていくオードリーさんでした。
(あとで聞いたら何も覚えてなかったらしいですけどね…)

 第2ラウンドへ続く

(今回管理人はカメラを持っていってませんでした。写真などは
「タイの日常」の中にある「アライ コォー ダイ」でご覧ください)