誕生日

 タイで誕生日と言うと、日本とはちょっと違った事をします。
 まず、仏教徒の場合は誕生日は仕事も休みを取ってお寺にお参りに。
 朝早くからお供え物を入れるビントーと呼ばれる段重ねになったお弁当箱の様な物の中におかずを入れて、その他(油や砂糖など)のお供え物を用意して自分のご先祖様が納骨されてるお寺に行きます。それから、お坊さんに今年一年の占いをしてもらって帰って来るというのが私が知る一般的なパターン。

 そして、日本と一番違う所は、誕生日を向かえた人が周りの人におごる事。
 パーティーをしたとしても、誕生日の人が周りに振舞うのです。
 もちろん参加者は何らかのプレゼントを持参して参加します。

 バーなんかは従業員の誕生日になるとイベントとばかりにパーティーを開いて客寄せしたり。
 一応店側からフリーフードで食べ放題、なのですが飲み物はきっちりお金を取られます。(飲み物代の方が圧倒的に高い)
 まあ、そんな事をしながらお店は潤いを切らさない様にしていると言う訳です。

 さて、どうして「誕生日」というテーマでこれを書いてるかと言えば、私自身の誕生日が近いからです。この原稿がアップされる時はもう誕生日は過ぎてるかもしれませんが・・・・

 私とダンナは共に1月生まれ。しかも、ダンナは元旦生まれと言うおめでたいヤローです。それも、ナゼか映画館の中で生まれたらしい・・・・
 私の誕生日といえば、日本に居る家族や友人がテレビを見て思い出すという日。
 山口百恵の誕生日。
 じゃなくて、阪神大震災のその日なのでした。

 あれは、〇〇歳の誕生日の朝。
 まだ誕生日を向かえるのが嬉しかった時。
 突然激しく揺さ振られて目が覚めると、、、、周りは足の踏み場も無い様な状況。
 表に出ると、今まで寝てた実家はみごとに斜めに傾いてました。
 裏の家ではおばあさんが圧死したりと、自分と家族がどうして無事でいられたか不思議な感覚でした。

 あの経験の後、私の「誕生日」に対する気持ちが大きく変わりました。
 毎年、今年も生きてる!と、生きて誕生日を迎えられた事を感謝して、命の尊さを実感するのです。
 もしかしたら、あの時死んでたかもしれない。
 あの時は、今タイで生活している自分なんて想像もつきませんでした。
 どうして今タイの、しかもソンクラに住んでいるのか?
 タイ語だって全然知らなかったどころか、聞いた事も無かったのに。

 それから考えたら、あれから9年経った今の自分は随分成長したなー。と、自分で感心します。今は一児の母になって、さっぱり訳の分からなかったタイ語も話してそれなりに生活しています。
 それが出来るのもあの時死ななかったから。

 生きている、ていう事自体がおめでたい!
 生きていれば苦労も嫌な事もあるけれど、生きて居ればこその楽しみは何事にも変えがたいのです。
 私はもっともっと生きて美味しい物を食べたいし、楽しい事もしたい!
 例え、それに少々苦労したって。

 誕生日と言うのは、その人がその日に人として生き始めた日。なのです。
 考えてみたらこれ程その人にとって大事な日はないかもしれませんね。

 私の息子の誕生日。
 それは初めて自分の身体から新たな生命が世間に出る瞬間でした。
 その日その時に初めて息子は人間として生きる資格を得たと言うか、一個人になったのです。
 
 一言に誕生日と言っても、人それぞれに誕生する瞬間や背景は違うものです。
 それからずっと生きて行けばそれぞれのドラマが有って・・・・
 まあ、とにかく誕生日を向かえるって言うのはおめでたいのです!

 とりあえずHAPPY BIRTHDAY TO ME!! 

 管理人から
 管理人は関東の人間ですが、周りにはまさに阪神大震災で家がつぶれたとか、身内が亡くなったとか、大変な思いをした人がたくさんいます。あの風景はイラク戦争とさほど変わらないほどスゴい風景でした。普段それほど「死」に対して意識することはないですが、「生」に対する意識も「死」を意識しない限りなかなか生まれてこないものです。誕生日、それは一人に一つしかない特別な日な訳でして、この日は「生んでくれた両親に感謝」したり、「今生きていることに感謝」したりするのに恰好な一日なんですよね。それにしても、こうやって改めていわれないと「生きている」ってことさえ忘れそうな毎日が怖いなあ…。